スポーツの秋、10月9日に大分市で、中西麻耶さん(東京パラリンピック女子走り幅跳び6位)と私のトークショーが開かれました。会場には密を避けながら約500人のお客様が。始まる前から由布市出身の麻耶さんの元には梨が届いたり胡蝶蘭が届いたり。人気ぶりが伺えます。 先ず、東京パラリンピックはどうだった?と聞くと、「スピードをつけたのに、幅跳びで生かしきれず残念でした」と麻耶さん。昨年から100mのレースにも積極的に参加し、「随分負けてカッコ悪かったけど、13秒台の自己ベストが出せました。それなのに…」と。でも麻耶さんは気持ちの切り替えも早く、すでに3年後のパリパラリンピックを目指して計画を立てています。常にチャレンジの人なのです。 高校時代はソフトテニスでインターハイ、国体に出場。21歳の時に職場の事故で右足の膝から下を切断しました。でも「義足があればまたスポーツができる」と今度は陸上競技に挑戦。するといきなり、100m、200mで日本記録を樹立し、北京パラリンピックに出場しました。しかし世界とのレベルの差に愕然とし、アメリカに単身武者修行へ。「お金が無くて、ファミリーレストランで寝たこともあります」と。掃除などのアルバイトで生活しながら、有名なコーチのアル・ジョイナーさんと出会いました。その後4年間、練習をみてもらえることに。「ラッキーでした。コーチはよく、“応援される選手になりなさい”と言ってくれました」と麻耶さん。その言葉通り故郷で災害が起きると駆けつけ支援活動を。また子ども達に陸上競技を教えることも。失敗を恐れずチャレンジする麻耶さん、彼女の言葉に会場の子ども達の目が輝いていました。
(共同通信/2021年10月11日配信)