福島からスタートした聖火リレーが全国をまわっています。三重県では瀬古利彦さんが四日市市を笑顔で走る姿が。「息子のためにも、病気を吹き飛ばそうという思いで走った」とも話していた瀬古さんでしたが、4月13日、長男の昴君(34歳)がご逝去。悪性リンパ腫の一種、ホジキンリンパ腫と8年間の闘病生活でした。
数日後のお通夜に伺うと、思い出の棚にその時のトーチが飾られていました。「残念だけど、覚悟はしていたからね」と瀬古さん。奥さんの美恵さんは、「亡くなる前に昴は『お父さん大好きだよ』って」。四男聖醐君には「ショウゴ、腎臓をくれて、ありがとう」と、一人一人に挨拶してから旅立ったそうです。
2007年、東京マラソンが始まった年に瀬古さんは市民ランナーの皆さんを音楽で応援しようと、「瀬古利彦とパンキーズ」を結成。美恵さんの音楽仲間が中心で、当時大学2年生だった昴君はギターとヴォーカルを担当。演奏の前に「瀬古利彦の息子の昴です」から始まり、皆の士気を高める見事なスピーチでリーダーを務めました。どの場面でも、昴君は一生懸命な優等生だったのです。
そして昴君が亡くなるおよそ1ヶ月前に書いた「がんマラソンのトップランナー」という本には、自分の体験が素直にホップに綴られています。タイトルは、主治医が「昴君はこの病気のトップランナーだね」と話したことから。あまり前例がない病気との戦いだったのです。本には、家族への感謝の気持と共に、おかしいと思ったら怖がらすにすぐに病院に行って欲しい。抗がん剤治療が辛くても、最後まで諦めずにがんばってという強いメッセージが。最後まで立派だった昴君。ゆっくり休んでください。
(共同通信/2021年4月19日配信)