戦う者の「引き際」思う
満身創痍(まんしんそうい)で引退した横綱貴乃花。彼の人生で大切な瞬間を見守りたいと思い、先日の引退会見に足を運びました。
300人を超える報道陣を前に、貴乃花はまず、直立して深々とおじぎ。そしてマイクを持たずにあいさつをしたのです。そんな所作の美しさと、すがすがしい表情に、わたしは既に胸がいっぱいになっていました。
報道陣から出る質問は「どうしてもこれを聞きたい」というものよりも、「あのときはこんな思いでしたよねえ」と、貴乃花の一番一番を見つめ、共有してきた自分の思いと重ね合わせているものが多いように感じました。
引退会見の前まで、わたしは「どうしてこんなボロボロのままで引退してしまうのだろう」という気持ちを強く持っていました。もっとゆっくり準備して、けがから復活した2002年秋場所のときぐらいまで体調を整えればいいのにと…。
しかし、この日分かったことは、勝っても負けても貴乃花は「今場所」と決めていた感があります。「左肩が痛くなくても同じ結果だったと思う」という彼の言葉が強く響きました。相手にこてんぱんにやられて「これまでだ!」とあきらめられる瞬間を待っていたのかもしれません。わたしはむしろ、そんな貴乃花の勇気をたたえたいと思いました。
そして、あらためて戦う者に「美しい引き際なんてない」と思ったのです。調子がいいときには周囲がいくら止めても攻めに攻めて進むだけ。後から「あの輝いているときにやめておけばよかった」と笑って話したりするのです。
でも、大切なことはボロボロになりながらも「自分はとことんやったんだ!」と思えること。その「とことん」は、はたから見たらぶざまに映るかもしれないけれど…。
初場所の戦い方、そして引退会見を通し、貴乃花を心からカッコいいと思えました。
(共同通信/2003年1月28日配信)
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