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増田明美プロフィール
1964年
1月
元旦、千葉県夷隅郡岬町(九十九里浜の最南端の太東岬)の農家に生まれる。

1979年
4月
私立成田高校に入学。”女瀬古”の呼び名もついた高校3年生のときは、トラックで3千、5千、1万メートル、そしてロードでも10、20、30キロ、マラソンと、ほとんどの長距離種目で、次々と日本記録を樹立。
瀧田監督(左)とライバル・樋口葉子さん(右)
1982年
2月
地元千葉での初マラソンでは全男子選手を抜き去りながら2時間36分34秒の日本最高、かつ世界ジュニア最高記録で走る。
3月の中日20キロマラソンで世界最高記録で走り、瞬く間に”ロス五輪期待の星”となる。
4月 川崎製鉄千葉に入社。
5月、1万メートルで日本記録を更新する。

1983年
1月
大阪国際女子マラソンでは貧血で倒れ途中棄権となるが、宗兄弟らとの合宿で精神的に成長、体重も増えて、その年のオレゴンTCナイキマラソンで1位、日本記録を更新し復活した。

1984年
8月
日本中の期待を集めたロス五輪(女子マラソンでは初めて公式種目)では無念の途中棄権、期待ばかりかけたがる世間の冷たい視線を浴びる。川崎製鉄を退社。

1986年
3月
教職を目指し法政大学に入学するが、マラソンを捨てきれず、1年で中退。渡米してNEC米社に入社、オレゴン大学に陸上留学し、明るさと独立心を身につけて帰国する。

1988年
1月
五輪以来初レース(4年ぶり)の大阪国際女子マラソンを完走。自己ワースト記録だったが精神的にたくましくなる。4月、NEC本社に勤務。
1982年3月、中日20キロマラソンでのデッドヒート

1989年
11月
第11回東京国際女子マラソンで日本人最高の8位につけ、見事再復活を遂げる。

1992年
1月
大阪国際女子マラソンを最後に引退、日本記録12回の13年間の現役生活に幕。
自己ベストは1983年TCの2時間30分30秒。


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