山あり谷ありの競技生活
ハナミズキの美しい季節に野口みずきさんが引退を発表。伊勢市のご実家でご両親が大切に育てているハナミズキの木も見守っていたことでしょう。「思う存分走り切れた」と、清々しい会見でした。
実はその3日前にシスメックスの寮にお邪魔し、野口さんと2時間ほどおしゃべりしたのです。その時は引退とは口にせず、さすが私に話すと広がってしまうと警戒したのでしょう。競技生活を振り返り、快心のレースは2007年の東京国際女子マラソンの優勝だったと話しました。金メダルを獲ったアテネ五輪でも、翌年日本記録を出したベルリンマラソンでもなかったので、意外だと話すと「アテネの時は直前に風邪をひいてしまって、ベルリンの前は足を痛めていました」と。確かに、’07年の東京国際で四ツ谷の急な上り坂(35〜40km)を16分台で走った、あの全身ゴムまりのような迫力を忘れません。
そのレースで北京五輪の代表になったものの、2大会連続の金メダルを狙って極限まで練習で追い込み、結果故障でスタートラインに立つことが出来ませんでした。そこから這い上がり、2013年のモスクワ世界選手権で再び日本代表に。でもそのレースでは脱水症状で途中棄権。本当に山あり谷ありの競技生活でした。野口さんに、そんな自分を支えてきたのは何かと聞くと「負けず嫌いな性格です」とただ一言。大きな目が少し潤みました。
151cmの小柄な体を鍛え上げて中距離選手のようなパワフルな走りで世界の頂点に立った野口は、沢山の人に勇気を与えてきました。リオ五輪の日本代表に決まった3選手も「ナショナルチーム合宿で野口さんから学んだ」と同様に話します。野口さん、本当にお疲れさま。
(共同通信/2016年4月18日配信)
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