思い出の福岡 教え子勝利
「自分が勝ったときよりもうれしいね」
12月7日、福岡国際マラソンの直後、教え子の国近友昭選手(エスビー食品)の優勝に瀬古利彦監督は声を震わせました。正直、本命と言われていた高岡寿成選手(カネボウ)に勝てるとは思っていなかったようです。ただ、好調だったので、レース前に一言、「40キロまでは前に出ちゃダメだ。40キロ過ぎたら思い切っていきなさい」と言って見送ったそうです。国近選手がその言葉を忠実に守ってくれたことを監督は、何よりも喜んでいます。「だって勝つのはちょっとしたところ、タイミングだから」
1983年、福岡国際でゴール手前までタンザニアのジュマン・イカンガー選手の後ろにピッタリついていた瀬古さんが、最後の100メートルで彼を抜き去って優勝した光景が思い出されます。マラソンで確実に勝つためには、人の前へ「出ることを我慢」する大切さを教えられたレースでした。
それにしても、天才ランナーと言われた瀬古さんにとって、人を育てる立場になってからの15年間はどんなにか長かったことでしょう。監督就任2年目、北海道合宿中、金井さん、谷口さんという大切な選手を交通事故で亡くしました。「ぼくが大器と言われる選手を育てられないでいたとき、金井と谷口は天国から『何やっているんですか』としかってくれた。申し訳ないと思っていた」と瀬古さんは話します。
そして、「今ようやく恩師、中村清さんの気持ちがわかるようになった」とも。レース後、「ありがとうございました」と、瀬古監督に深々と頭を下げた国近選手。20年前の瀬古さんそのものです。思い出の福岡で、指導者瀬古の第一歩が踏み出されました。
(共同通信/2003年12月17日配信)
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