42.195キロの原点
ひと足早いクリスマス・プレゼント、ギリシャの旅。NHK・BSのお正月番組のため、アテネを訪れた。丘の上にそびえるパルテノン神殿や、むきだしの岩肌など「白」が基調となる国だ。
第一回近代オリンピック(1896年)が開かれたパナシナイコ競技場は、工事中のため中に入ることができなかった。でも、外から見た大理石の観客席に心はざわめき、やはりここは特別な場所なのだと思った。
一枚の写真に目が留まった。競技場の入り口に掲げられたモノクロの絵。一人の選手がゴールに飛び込む姿を大観衆がハットを手に総立ちで応援している。歓声が聞こえてきそうなくらいリアルだ。
「彼が、スピリドン・ルイスさんですよ」
しげしげと絵を見つめる私に、道ゆく老紳士が言った。彼はギリシャ人のルイスさんが第一回大会のマラソンの優勝者だと言い、車で南に30分ほど行った町には、ルイスさんの孫息子が住んでいると教えてくれた。いてもたってもいられない思いにかられ、車を走らせた。瀟洒(しょうしゃ)な家からエレニさんという孫息子の奥様が現れて、立ち話ではあったけど、スピリドン・ルイスさんのことを教えてくれた。
「彼は貧しい羊飼いだったの。土地の名家の娘と恋に落ちて、家柄も財産もない彼との恋は猛烈な反対にあった。優勝して結婚を許してもらおうと思って走ったのよ」
優しい表情で語るエレニさん。私が「その優勝がなければ、あなたのご主人はいなかったのね」と言うとほほえんだ。優勝したルイスさんは、王室から褒美の品をたくさん用意されたが、馬一頭しか受け取らなかったらしい。「仕事に使うから」と言って。
そう、愛のために走った彼にとって、彼女との結婚以外に欲しいものは何もなかったのだろう。素敵な話。この「なぜ走るの?」のシンプルな答えは、きっと42.195キロを走る選手の背中を押す原点なのではないかしら。
(産経新聞/2003年11月28日掲載)
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